宗教批判の原理「三証」について

このページでは創価学会が宗教の正邪・高低浅深・優劣を定める判断基準の1つとして用いていた「三証」について説明しておきたい。
三証というのは文証(文献的証拠)・理証(理論的整合性)・現証(現実の上での証明)の3つを言う。
この用語は仏教一般で使われる事もあるが、主に日蓮系の各宗派で使われている考え方で、創価学会では次のように説明している。


◆三証(創価学会ホームページの記載内容を抜粋編集)

<引用ここから>

①「文証」……その宗教の教義が経文、仏典の上で裏付けを持っているかどうかという事。
日蓮大聖人は、経文上の明確な根拠のある教義を用いるべきであり、経典によらない教えを用いてはならないと戒められている。
文証に基づかない教義は、所詮、自分勝手な主張になるからである。
仏教であるならば、釈尊の教え、すなわち経文に基づくものでなければならない。

②「理証」……その宗教の教義や主張が道理に適っているかどうかという事。
日蓮大聖人も「仏法と申すは道理なり」と仰せのように、仏法はあくまで道理を重んじる。
道理に外れた主張は用いてはならない。

③「現証」……その宗教の教義を実践した結果が生命や生活、そして社会にどのように現れたかという事。
宗教とは、観念的なものではなく、人々の生活や人生の側面に必ず大きな影響を与えるものである。
そして、その現実の結果がどう生活や人生に影響を与えたかで、宗教の勝劣浅深を判断していくべきである。
これら三証の中で、最も重要なものがこの現証なのである。
また、この三証のどれか一つが欠けても正しい宗教とは言えない。
薬で譬えれば、成分表や効能書きがあり(文証)、
効き目がある確かな理由があり(理証)、
実際に服用して、体が回復するという明確な結果が出てこそ(現証)、有効な薬と言える。
反対に適切な薬でなければ体にとって毒となってしまう。
日蓮大聖人の仏法は、理論の上でも、現実の上でも、万人が納得できる客観的、普遍的な根拠を持つ宗教なのである。


<引用ここまで>

以上のように、創価学会は三証全てにおいて正しさの根拠を持っている宗教だと豪語しているのだが、
すでに創価学会の主張は根底から崩壊していることが明らかになっている。
次のページからは創価学会の主張の誤りを述べていきたい。

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